「面倒くさい」

そうユーリが言い出して、俺たち3人は一緒に暮らすようになった。
デビューが決まっているとはいえ、毎日のように渋谷の片隅にあるスタジオに入り、毎日のように顔をあわせていた。そのスタジオには、小さいけれど何故かテラスがあり、木製の机と椅子が並べられ脇には鉢植えの常緑樹が並べられ、コーヒーなどに加えプリンシェーキなどという謎の飲み物が混じって陳列されている自動販売機のオマケ付き。防音された部屋の中は普通スタジオにあるような壁一面の鏡がなく、居心地がよかった。姿など二の次、この音があればいい。3人で音を合わせ奏でる調和はこの上ない心地さで、その感覚を味わうために音をかきならす。戯れで始めたはずだったのに、いつの間にか3人ともが夢中になっていて、曲の打ち合わせをするために誰かの家に転がり込むことなどしょっちゅうだった。そう考えれば、3人でひとつところにいるというのは、なるほど都合が良い。ついでに以前から極端に血圧の低い彼を電話で起こすのは自分の役目だったから、これからは直接起こせるのだと思うと鼻歌でも歌い出しそうな気分になった。




転居先はあっさり渋谷のマンションに決まった。例のスタジオが近いという理由が1つ、交通の便がいいという理由が1つ。決まると早いもので、あれよあれよという間に契約は済み荷物は運ばれ、知らぬうちに部屋の割り振りは我らがヴォーカルによって勝手に決められていた。この引っ越しに関することに自分は完全に蚊帳の外で、唯一家具や電化製品を買ってくるように命じられただけだった。俺ってなんだろうと思わず真顔で考えたが、衣食に関して頼ってもらえているということはすなわち、衣食住の三分の二を俺が占めているということだ。三分の二分は俺の領域だ亭主関白だ、と良いように解釈することにした。
そうして暮らしはじめて、すぐに気が付いた。
「ユーリの部屋って…………」
殺風景ッスねと続けようとしたのを飲み込む。あぶない。
あまり言われて嬉しい言葉ではないような気がしたのだ。少なくとも自分だったら褒められているとは感じない。この男は、少しでも厭なことを言われるとその美しい声で心の底まで凍り付くようなことを囁く。出来ればそのような自体には陥りたくない。
「なんだ?」
手入れなどされなくとも整った眉根を寄せて、こちらを見据えてくる双眸とかちあう。底の見えない目。ずっとずっと昔から生きている、彼にしかできない目。彼はこちらが言いかけてやめるのを、とても厭がる。今までの付き合いから、こっちだって厭というほど分かってはいるのだ。言葉にする前に気づければいいのだけれど、悲しいかな殆どの場合は口から滑り出したあとだった。自分の場合。しょうがないので目を逸らしつつ、できるだけ控えめに言う。
「……物が少ないな、と思って。」
彼の部屋には、棚や箪笥というような物をしまっておくようなものが一つもなかった。
普通の部屋にありそうな時計や、机、テレビといったものもない。あるものといえば、シーケンサー専用となっている最新型(!)のノート型マッキントッシュと、そのまわりに散らばっている今までに録りためた自分達の音源入りMDだけだった。衣服だけは、居間にある共用のクロゼットに入れていたのでここには無い。この家の住人は、俺以外は片づけるという行為に興味を持たない人々だった。コートを衣紋掛けにかけることをせず、たたむこともしない。出した物は、用が済んだら放置。そしてそれを放っておくことの出来ない俺が片づける。何故だか放っておいても俺の所為になるので、我が家では脱いだ服は堂々とリビングに置いてあるカゴに入れることにした。というか、面倒くさがる二人を説き伏せそういうことにした。彼ら二人の衣服は共用のクロゼットにしまい、俺自身のものは部屋にしまう。二人はクロゼットから適当に、どれが誰のものであるかを気にせず着る。そういうわけで、ここには脱ぎ捨てられたままのシャツも靴下も存在しなかったが、もしそうでなければMDとともに散らばっているに違いなかった。

あぁ、でも、やっぱり言わなきゃよかったッス。
すぐにでも言葉の矢が飛んでくるかと思われたけれど、場の空気は止まったまま。怒られもしないということは呆れられているということだろうか。俺はきっととてつもなく変なことを言ってしまったんだろうと思いつつ一瞥すると、あの底の見えない目にぶつかった。途端に彼は唇の端を歪める。何もかも見透かすような笑み。絶対零度。一一一そういえば絶対零度というのは、近づけることは出来ても、到達することは理論上不可能なのだという。なんとなく彼にぴったりだと思った。
「遠慮するな。言え。」
「…言ったじゃないスか。」
のぞき込まれ視線を囚われる。縛られる。
思考は視線に奪われ緩慢な回転しか出来なくなっていた。何を言うべきなのか、そもそも自分が何を言おうとしていたのか。それすらもあやふやになってしまっていて言い訳を探している気分。ただ紅い双眸を見つめるばかり。これが吸血鬼の力だろうかと、働かない頭でぼんやり考えた。
「考えるな。感じることだけを、信じていろ。」
「一一一ユーリ」
「それとも恐いか?」
低く笑いながらうつむく彼に、なんと言ってよいのか分からない。
さっき自分は恐いと感じただろうか。蠱惑的な眼差しに思考を奪われたのは彼が吸血鬼だからなのか。
いや、そうじゃない。
うつむく前に見つめ合っていた彼の眼差しは、何かを求めるように見えた。
そして、自分はその眼差しにどうしようもなく惹かれてしまうのだ。孤高の存在がそれを向ける相手が自分であることに半ばとまどいつつも、ついていくことを出会った瞬間に決めた。いや、ついていくのではなく、一緒に居たいと思った。そうだ、それを言わないといけない。何も言わない俺に愛想を尽かしたのか、部屋を出て行こうとする彼の背に声をかける。
「俺が、ユーリのそばにいるのは、俺が居たいからだ。ユーリの気持ちとは関係ない。それは俺の気持ちだ。信じてくれ。」
自分でも何を言っていることが意味不明だったが、考える前に言葉が飛び出した。
自分の気持ちは、言葉にするのが難しい。ましてや、それを受け取る相手にそっくりそのまま伝わることなんて、ないのだろうと思う。でも、間違ってない筈だ。どうしようもなく言語不自由な俺の、これが精一杯。

そうして凍り付いていた空気を動かしたのは、吸血鬼の揶揄する響きの混じった、でもやっぱり美しい、声。
「では、そうしてもらうとしようか。」
満足気に笑う彼を見たら、嬉しくてどうしようもなくなってしまった。そのまま思わず腕に抱き込んだら、力加減を間違えて思い切りつねられたが押し返されはしなかった。伝わって欲しかったこと、全部が伝わったとは思わないけれど少なくとも一部伝わったのだ。さっきの答えだけで全部が伝わるなんてつまらない。これから先、何度問われても、揺るがない自信があるこの思いを、ちょっとづつ分かってもらえたらいいなと思いつつ、腕の中に感じる熱をしばしの間かみしめた。



「あっそうだユーリ、俺の部屋に来ないッスか?朝起こすのも楽だし、何よりこんな殺風景な部屋にいたらユーリ病気になるッスよ!」
「それで?三人一緒に同じ部屋で暮らすのか?」
「あ…いや…えーと…」
そうか、しまった我が家は三人だったごめんスマイル!と思った瞬間、図ったように声が飛び込んできた。

「そんなの嫌だね。寝不足になるのはごめんだよ〜。」

「ス、スマイル!」
いつの間に話を聞いていたのか、戸口から住人の残り一人の姿が見えていた。
しかしぎょっとしたのは俺だけで、ユーリもスマイルもお互いにそこにいることに気づいていたようだった。その事実も気になるが、それよりも。

「っていうかスマイル、寝不足ってなんスか…?」
「え〜?知らないよ〜ヒッヒッヒ!」
「…寝不足、か…。そんな甲斐性がこいつにあると思うのか、スマイル。」
「え!ユーリは分かってるッスか!?教えて欲しいッス!!」
「え!まだなの!信じらんないねこの駄犬〜!!」

「「………」」

最初の音だけをぴったり揃え、その後は二人とも言っていることはバラバラだったが、どちらも何故かユーリの機嫌を損ねたようだった。艶やかな笑みを浮かべ、唇を開く。

「二人とも、出て行け」

日に絶対零度の笑みを二回も拝めてしまうとは、今日は最高に素敵な日だ一一一。



あとがき
一応続きがあります。頑張ります。